2025

中医学の教科書 第1話 現代医学と東洋医学

2025年11月13日

「身体の常識」の中で、東洋医学について触れてきましたが、
もう一度基礎から、しばらくの間、一緒に学んでいきましょう。

 東洋医学と西洋医学の違いと共通点
 東洋医学は古代中国に端を発し、人体を陰陽五行や気血水といった全体的な関係性のなかでとらえる医学です。
 診断では「望・聞・問・切」の四診を用いて個々の体質や証を見きわめ、鍼灸や漢方、気功、食養生などで自然治癒力を高め、バランスの回復と未病の予防を重視します。

 一方で西洋医学は解剖学・生理学・病理学を基盤に、血液検査や画像診断などの客観的データで病態を特定し、薬物療法・手術・放射線療法やリハビリテーションで病因の除去や症状の迅速な是正を目指します。
成果の評価や治療の再現性が比較的明確で、急性疾患や外科的処置に強みがあります。

 しかし、両者は対立するだけの存在ではありません。
近年の医療は患者中心の全人的ケアへと向かい、東洋医学の「体質に応じた個別対応」や「未病を防ぐ予防観」は、西洋医学のプレシジョン・メディシンや生活習慣病対策と共鳴しています。
 がん治療の分野では、化学療法の副作用軽減や患者のQOL向上を目的に鍼灸や漢方が併用されることが増え、こうした統合医療の実践は両者の強みを生かす好例です。

 まとめると、東洋医学は「全体の調和」と「個別の体質改善」を重視する伝統的な智慧であり、西洋医学は「原因の特定」と「科学的な介入」によって病を治す近代的手法です。
 相互補完的に用いることで、急性の治療効果と慢性あるいは予防的な健康維持の両方をより効果的に達成できる可能性があります。

「与えることは、与えられること」

2025年11月9日

本日、健康ドームに於いて、衆議院議員 福田とおる先生による国会報告を聴衆しました。

 題目は「日本人ファースト」
 日本は、ODA:政府開発援助で、保健インフラ整備(病院・診療所の建設)・感染症対策(マラリア、HIV、結核など)・母子保健・栄養改善に貢献していますが、これらの支援が喜ばれているのか、また日本にとって良い結果を齎しているか疑問である。
 インフラ整備しても、現地では医師・看護士の人員が少なく、又は使い切る技術が乏しいなどの問題ある。
 中国などの他国では、インフラを整備するとともに運営に関わって自国の製品や薬品を使って利益を得っている。

 「もくさアフリカ」は、、アフリカ・アジアを中心に結核の新たな感染者数、死者数の増加に歯止めがかかりません。
また、HIV/エイズとの重複感染や薬剤耐性結核といった脅威が問題に、「灸」が有効であるといって、アフリカ・アジア中心にボランティア活動を行っている。
 しかし、本来は「灸」は奈良時代からある日本伝統医学であるにも拘らず、日本ではなく、イギリスのチャリティ団体「moxafrica」が中心となって活動している。

 この二つの事項で共通している問題は、「日本人ファースト」になっていない。
 支援を受ける側はもちろんのこと、支援をする側もまた、学び、気づき、心を動かされ、成長していく。
 まさに「支援は双方向の営み」であり、「与えることは、与えられること」でもあるのです。

身体の常識 第91話 怒りやイライラの裏に隠された本当の感情とは?パート2

2025年11月8日

 イライラと上手に向き合うための2つのステップでは、どうすればこのイラつく感情をもっと上手に扱えるのでしょうか?
 イライラの原因を理解し、感情を整理するための
具体的な方法を2つ紹介します。

1. 自分の期待に気づく

 まずは、自分が相手にどんな期待をしているのかを考えてみましょう。
「なぜイライラしたのか?」「その背景にはどんな期待があったのか?」を意識することが、感情をコントロールする第一歩です。
 自分の中に潜む期待に気づけば、相手に対して不必要に厳しくなりすぎることを防げます。

2. 自分自身を許す

 自分自身を責めすぎないことが大切です。
「イライラするのはおかしいことじゃないのか?」と感じるかもしれませんが、
 それは自然な感情です。
誰にでも起こることなので、自分を責めずに、感情を受け入れることが大事です。

まとめ:

 イラつきは愛情の裏返し?
イラつきは、ただ単に「自分が未熟だから」と感じる必要はありません。
むしろ、相手に対する期待や愛情があるからこそ、感情が揺れ動くのです。
その期待と現実が一致しないときに、私たちは苛立ちを感じます。
 イライラの背後にある自分の期待を理解することで、感情をコントロールしやすくなります。
 そして、その感情を正直に伝えることで、相手との関係もより良いものになるでしょう。
あなたの選択があなたの未来を変える第一歩です。
人は気づけばいつからでも変われます。
あなただけじゃない。
あなた一人じゃない。
知識は人生の盾であり矛である。
あなたの歩いた道が幸せの道でありますように。

身体の常識 第90話 怒りやイライラの裏に隠された本当の感情とは?パート1

2025年11月5日

1. イラつくのはなぜ?感情の裏に隠れた期待と愛情

 「イライラする!」と思う瞬間、実はその感情の裏には、相手に対する期待が隠れていることが多いのです。
 例えば、家族や恋人、友達に対して何かを期待していて、その期待が裏切られたと感じたとき、強くイライラすることがあります。
 たとえば、パートナーが何か小さなミスをしたとき、なぜかいつもより腹が立つと感じたことはありませんか?
それは、パートナーに「こうしてほしい」という期待があり、その期待が満たされなかったからなんです。
 面白いことに、他の誰か、たとえば全く関係のない人が同じことをしても、そこまで強くイラつくことはないでしょう。
 イラつきは、あなたがその人に対して大切に思っている証拠とも言えます。
 愛情や信頼があるからこそ、「こうしてほしい」という期待が生まれ、その期待が満たされないときにイラつくんです。
言い換えると、イラつきはその人への「愛情の一部」なのかもしれません。

2. 期待と現実のギャップがイライラを引き起こす人は無意識のうちに、周囲の人に対して多くの期待を抱いています。

 「これぐらいは理解してくれるだろう」「こんなことはしてくれて当然だ」という期待です。
 しかし、その期待が現実と合わないとき、心の中に大きなギャップが生まれ、それがイライラや怒りに繋がります。
 たとえば、親しい友人に期待していた優しい言葉をもらえなかったり、家族に頼んでいたことが思い通りにいかなかったりすると、急にイライラが募ります。
でも、そのイラつきの裏には、「もっとこうしてほしい」という願いが潜んでいるのです。
 この感情の背後にあるのは、期待と愛情。つまり、イラつくという感情は、相手に対する「愛の一形態」かもしれないのです。

11月の診療のお知らせ

2025年11月2日

11月の診療のお知らせ

  秋の声が聞こえる美しい季節が到来しました。
ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。 さて、11月は下記の要綱で診療させて頂きます。


11月24日(月)振替休日
    通常通り診療します。   
 



  

身体の常識 第89話「背骨」に溜まった怒り

2025년 10 월 27 일

 腰に痛みがあると、歩くのが大変だったり、長時間立っているのが辛かったり、痛くて正座ができなかったり、椅子から立ち上がるのが辛かったり、日常生活に支障をきたすので大変だと思います。

 腰をケガしたわけでもないのに痛みが出てきたり、腰が痛み出してから日にちがだいぶ経っているのにまだ痛みが残っている。
 整形外科に行くと時間が経てば治ると言われ、接骨院、整体に行ってもなかなか良くならない場合、原因が身体以外にあることがよくあります。

 よく病気や不調は心のストレスが原因と言われますが、実は腰痛にもこれは当てはまるのです。
 実際に多くの患者さんをみていると、心のストレスが腰痛に表れている方は多くいます。

身体の常識 第88話「骨盤」に溜まった怒り

2025年10月23日

 「骨盤」に溜まった怒りのエネルギーは、下向きです。
正確には、お腹で発生した上昇気流の性質をもつ怒りエネルギーを、上からぎゅーっと「骨盤」まで押さえ込んでしまった状態です。
 女性の骨盤は、男性よりも横幅が広く、ずっと機能的。そして繊細です。
  仙骨、腸骨、坐骨と複数の骨が組み合わさった構造こそ男女とも同じですが、恥骨結合のジョイントが緩やかで、みた目にははっきり分かりませんが、生理周期に合わせてゆったり開閉を繰り返しています。
二週間かけて開き切った時に月経が始まり、閉じ切った時に排卵が起こるという具合です。

  しなやかさを備えた女性の骨盤が、怒りのエネルギーで上から押さえつけられるとどうでしょう。
 ひどく緊張し、固く閉じてしまいがちになります。
骨盤が固く緊張すると、てきめんにその内側の血行が悪くなり、重い生理痛、生理不順を引き起こします。
 
 時間とともに癒えるものではありますが、孤独の中で抱え込むと深く根を張ってしまうこともあります。
 書く、話す、創作するなど、自分の感情を外に出す方法を見つけることが回復につながります。
心の傷は、語られたときに初めて「癒し」が始まります。

日本鍼灸師会東海北陸ブロック会議

2025年10月19日

 10月12・13日の両日にわたって、日本鍼灸師会東海北陸ブロック会議に出席しました。
 鍼灸業界を取り巻く多くの課題、問題点について話し合われ、その間に有志との懇談があり、絆を深めました。

 鍼灸に対する国民の期待は、単なる「痛みの緩和」や「コリの解消」を超えて、心身の健康維持や生活の質の向上にまで広がっています。特に高齢化が進む日本社会では、鍼灸が果たす役割への注目が高まっています。
 しかし、鍼灸師は医療行為を行うにもかかわらず、「医業類似行為」として扱われることが多いです。
中国や韓国では、鍼灸師は「中医師」「韓医師」として医師と同等の身分を持つが、日本では医療制度の中で補完的な存在であり、時には「医療行為」時には「医療類似行為」とみなされ、
保険制度上の扱いや専門医制度の不在の状況です。

 この状況ででは、安心して国民への期待である「の健康維持や生活の質の向上」に答えられないです。
 国民の期待に応えられるよう、日本鍼灸師会では社会的地位向上と国民の健康促進を目指して、さまざまな取り組みを展開しています。
制度整備、教育、災害支援、広報活動など、分野ごとに力を注いでいます。

身体の常識 第87話 お腹にくる怒り

2025年10月16日

 お腹は、自信や自己肯定感に深く関わり、胃・腸・膵臓・脾臓・胆のう等の消化器系とも関連しています。
食べ物の消化・吸収は腸の流れに沿って右回りにエネルギーも進行します。
時間もエネルギーもかかります。

 お腹にくる怒りは、その流れを妨げようとして、ガスを発生させてしまいます。
 精神的な意味での未消化のエネルギー、何か上手くいかない、納得できない、腹落ちしない、イライラ、ムカムカ等は、お腹の中に不安材料(ガス)を作り出し、消化器系の不調を引き起こしたり、腸脳相関で脳の判断も鈍らせてしまう事もあるようです。

 イライラ、ムカムカは日常的に毎日少しずつ蓄積されやすいので、食事に時間をかけてゆっくりよく噛む事や、白湯を飲んで消化、吸収をサポートすると、お腹の声、自分の直感を信じられるようになると、自信を取り戻しやすくなるようです。
 お腹の声は腹の虫、自分の直感かも知れません。

육체상식 제86화 - 자기애와 타인에 대한 사랑

2025年10月11日

 自己愛と他者愛のバランスとは、なかなか難しいものである。

 誰かのために尽くしていると、ふと「私ばっかり頑張ってる?」と思ったり
逆に自分の気持ちを優先すると「わがままなんじゃ?」と不安になったりする。
 特に人間関係が密なほど、このバランスを取るのは至難の業なのだ 。
家族、友人、職場の人間関係、どれも相手がいるものだからこそ どこまで自分を出していいのか迷うこともある。
でも、そもそも「自己愛」と「他者愛」を対立するものと考えている時点で
すでに無意識のうちにどちらかを我慢する前提になっているのではないだろうか 。

 本当はどちらも同時に満たすことができるものなのである

 例えば、友人に頼まれて手伝いを引き受けたとする。
本当は疲れていたけれど「断るのは申し訳ない」と無理をしたすると、手伝った後で「やっぱりしんどかったな」と後悔する。
 このとき「相手のために」と思っていたはずなのに 、実はどこかで「いい人でいたい」という気持ちがあったりするのだ。

自己愛とは「自分を優先すること」ではなく「自分を尊重すること」
他者愛とは「相手に尽くすこと」ではなく「相手を尊重すること」

 この視点を持つと、無理のない関係性が生まれてくる。
じゃあ、どうしたらそのバランスを取れるのか

 ひとつめは「NOを伝えるまず練習をする」無理だと思ったら、
一度「少し考えさせて」と言ってみる。
即答しないだけでも、自分の気持ちを確認する時間が持てる。
それでも引き受けるなら、それは「自分が納得している選択」になるのだ。

 二つめは「1日10分、自分の気持ちを振り返る時間を持つ」
忙しい日々の中で、自分の感情を後回しにしてしまいがち でも、ふと立ち止まって「今日、私はどんな気持ちだった?」と振り返ると 、驚くほど「無理をしていたこと」に気づく瞬間がある

 三つめは「自分が満たされることで、周りも満たされると知る」
自分のエネルギーが枯渇した状態で誰かを助けても 結局、心のどこかで不満が生まれる。
でも、自分が満たされているときに手を差し伸べると それは自然な愛として広がっていくのである。

 このバランス感覚を身につけるためには、少しずつ練習していくしかない 。
他者のために何かをするとき、自分の心が喜んでいるかどうか
義務感で動いていないか、それを確認するだけでも違ってくる

大切なのは「どちらが正しいか」ではなく「どちらも大切にする」という意識

 自己愛と他者愛は、どちらか一方では成り立たないもの 。
そのバランスを取ることで、本当の意味での優しさや愛が育まれていくのだ。
 だから、焦らなくていい 少しずつ、自分の心の声を聴く時間を増やしていくことだ。
自分の愛は、まず自分自身を満たすことで、もっと自由に、もっと深く、広がっていくのである。